ニャオ爺の教えて日本刀 日本刀と玉鋼

日本刀と玉鋼

おぉ、ボンは早起きじゃな。

そうさ、昨日の続きを早く聞きたくてね。

ウム。
まずは鉄穴師かなじの集めてきた砂鉄と、山子が焼いた木炭が必要じゃの。そして大きな炉(釜)がいるの。じぃが知っておるのは長さ3m、幅1m、高さ1.2mの角形をした粘土の炉じゃった。村下むらげちゅう偉い人がおっての、たたらの責任者じゃな。このお人の腕一本に鉄の出来すべてがゆだねられとった。粘土の配合も一家相伝、村下の秘密じゃった。 この大きな炉じゃが、一回の製鉄で痩せてしまうでの、製鉄のたんびに最初から作るのじゃ。 一回の製鉄を一代ひとよいうてな、三日三晩寝ずの作業になるのじゃ。 まず、火床をつくり、その上に粘土で炉を作る。この炉(釜)に砂鉄と木炭を交互に入れる。ふいご番子ばんこが風を送り続け、はぜる火花や炎の色で村下は砂鉄や木炭を追加し、風の強さを調整するのじゃ。はじめは昇る朝日の赤、次の日は白熱の太陽、そして三日目は暮れゆく夕日色。 砂鉄は燃えながら溶け出し、大きな塊になる。これをけらという。
玉鋼1トンを作るのに、砂鉄13トン、木炭13トンが必要じゃと云われとる。木炭13トンちゅうことは原木にして90トン必要なのじゃ。話によると一代ひとよで1ヘクタールの山林が伐採されたそうじゃよ。

ねぇニャオ爺、けらって初めて聞くなぁ。かねのお母さん?

そうじゃの。金属、この場合は鉄のお母さんになるかの。ケラの中で鉄(鋼)が大きく育つんじゃ。 砂鉄が木炭を取り込んで、不要な物をノロとしてはき出し、けらとなるんじゃ。 だいぶはしょっておるがの、 たたら炉内で加熱された木炭炭素Cは送り込まれた酸素Oと結びついて 一酸化炭素COを発生する。 炉内を上昇していく一酸化炭素は投入された砂鉄酸化第一鉄FeOから 酸素Oを奪って、二酸化炭素CO2となり炉外へ抜け出す。 そして酸素を奪われた砂鉄FeOFeとなって炉内を沈み、 途中で一部は炭素と結びつき、やがて炉の底にたまったノロスラグへと沈んでいく。 ノロの中では還元された鉄の一粒一粒が浮遊しながら互いにくっつき合い、 不純物をはき出しながらだんだんと大きな塊になる。 最後に炉を壊し、出来上がった塊を取り出す。これがけらと呼ばれるものじゃ。 砂鉄13トン、木炭13トンから、およそ3トンのけらが出来、その中にずく1トン、 そして玉鋼1トンが含まれるそうじゃ。その玉鋼の中にも等級があっての、破断面が均質で、のろかみが少なく、 不純物の混入が少ない部分が玉鋼一級ゆう最高級の鋼じゃ。聞いた話だと、玉鋼は1kg8000円もするのだそうじゃ。 刀1振に玉鋼4~5kg必要じゃて。世界一高い鉄だと言っておったわい。

こんな難しいことを昔の人たちは普通にやっていたの?

うむ、失敗も多かったろう。火を使い何日にもわたる作業じゃ。 天目一箇神あめのまひとつのかみちゅう神様がおっての。製鉄、鍛冶の神様なんじゃが、字を見て想像がつくかの。片目の神様なんじゃ。さっき話したろ、いい鉄をつくるのには火加減が重要じゃ。村下は一代の間、何度も片目で炉を確認する。村下を続けるうちに、いつしか片目が見えなくなるそうじゃ。それほど過酷な仕事だったのじゃ。

そうだったのか。だから今はもういないんだね。

そうさのぉ、個人でたたら製鉄をやってるお人もいるちゅう話じゃ。あとは「日刀保たたら」が年に数回たたら製鉄を行っておる。そのくらいかの。

ニャオ爺、ありがとう。なんだか日本刀を作るのって大変なんだね。一人の刀鍛冶さんがいるだけじゃだめなんだ。木を作る人、木を燃やして木炭を作る人、砂鉄をとる人、そして鉄を作る人・・・なんかボンはしんみりしちゃうよ。ってニャオ爺 聞いてる?
・・・あれ、寝ちゃってるよ、仕方ないなぁ。 おやすみニャオ爺
ドンドコ丼

斐伊川上流、奥出雲に今もまだ残る菅谷高殿すがやたたら。もののけ姫のたたら場のモデルにもなったこの地。 鎌倉時代、野だたらから始まった奥出雲のたたら製鉄は1751年高殿を構え、1921年にその火が消えるまで永きにわたり続いた。

-重要有形民俗文化財-
「菅谷たたら山内」の「たたら」とは、砂鉄精錬場の総称である。砂鉄精錬場の中心にあるのが高殿たかどので、この高殿の中に構築される送風装置そのものが狭義の「たたら」である。このたたらで作られた鉄は、日本刀の材料などに使われていた。 また、高殿を中心に鉄倉、銅小屋、元小屋、米倉及びたたら師らが住む長屋などを有する地域を俗に「山内」と称した。 高殿、元小屋、米倉各1棟と山内祠(拝殿を含む)5棟のほか、鉄池、金屋子化粧池各1カ所と桂の木1株およびこれらを含む地域を既に指定している。我が国における伝統的な製鉄法であるたたら製鉄の実態を知る上で重要なまとまりであり、たたら製鉄の様相を示す現存する唯一の指定物件である。(文化庁報道発表より抜粋)

斐伊川といえば、スサノヲノミコトが十拳剣とつかのつるぎで八岐大蛇を退治したことでも有名である。 八岐大蛇から流れ出た血が斐伊川を真っ赤に染めたとあるが、斐伊川はもとより鉄分で赤く濁る川であったといわれる。 八岐大蛇の体内から草薙剣くさなぎのつるぎが見つかったことと、鉄分の多い斐伊川、製鉄の歴史を物語っているのであろう。 斐伊川の最上流近くには羽内谷鉱山鉄穴かんな流し本場がある。 ここは1972年に稼働を終えたが、日本で唯一現存する遺構としていつでも再稼働出来る状態になっている。

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