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表/兼永 裏/打関村正

Tanto/
Omote/Kanenaga : Ura/Muramasa seki uchi

長さ / cutting edge
28.5cm
反り / sori
0.3cm
目釘穴 / mekugi
2個
元幅
2.5cm
先幅
2.1cm
元重
0.5cm
時代
古刀 永正頃(1504年)
period
late muromachi (1504)
村正→伊勢(三重県) 兼永→美濃(岐阜)
country
muramasa/ise , kanenaga/mino
刃文
湾れ乱れ
hamon
notare midare
地鉄
板目に杢目交じり
jigane
itame ni mokume
帽子
乱れ込み
boshi
midare
はばき
金無垢二重(五三桐紋透かし)
habaki
solid gold double
外装
総金梨地塗・金蛭巻五三桐紋金七々子地拵
上白鞘(本阿弥日洲鞘書)
mounting
koshirae & shirasaya
鑑定
(財)日本美術刀剣保存協会 特別貴重刀剣鑑定書附
Certificate
[N.B.T.H.K] tokubetsu kicho
所載
「鑑刀随録」小泉久雄著・「日本刀銘鑑」両所載
正価
売却済
price
sold

極めて珍しい合作刀は、村正と兼永の作。もともと両国は技術交流があったらしいが、この一振がその証明を担ったことは揺るぎない事実。本作は、美濃兼永のもとへ村正が出向いての合作で、地鉄や刃文、茎の形などはその個々の特徴が表れて興味深い。兼永は室町末、関兼光の子。村正はご存じ“妖刀村正”と言われ、徳川家に禍を起こし、家康はいみ嫌う。その為、銘を消された村正も多く、この徳川家と村正の因縁は現在まで語り継がれている。妖刀と云われた所以は、村正のその鋭い切れ味が全ての禍に通じる。いずれにしても、村正の名は古今を問わず知れ渡っている。本作、すんなりと延びた平造り短刀。板目に杢目が交じった地鉄は、兼永の得意とするあたり。低く湾れた小乱れ交じりの刃文は、良く見る村正のそれ。村正が関に赴いて鍛えた為か、茎の形は兼永の様式で、村正銘は裏に切られる。もちろん無疵で、全体の雰囲気も重々しい名刀。金梨地に金蛭巻を施し、連ねるように五三桐紋金蒔絵を飾り立てた、豪華絢爛な拵は度肝を抜く。金具は全て金七々子地に桐紋という完璧なまでのこだわりようで、写真からも分かるように一級の金具師によるもの。金五三桐紋透かし二重ハバキは金無垢で、最後まで徹底している。登録は京都で、昭和二十七年の俗に言う大名登録。昭和初期発行の「鑑刀随録」所載。「日本刀銘鑑」所載。上白鞘には本阿弥日洲鞘書極め。特別貴重刀剣鑑定書附。
「鑑刀随録」より
本作時代永正頃かと見え、地鐵・中心の形・同鑢目等は総て関風で只刃文だけが村正風だから、或いは下地を兼永がやり置土と焼き入れを村正がやったのかも知れない。美濃と伊勢は近接して居るから村正一派と関物とはかなり深い関係があったらしく想像される。

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